12年ぶりのマジック・ザ・ギャザリング公式フォーマット大会(モダン)の日々

昨年(2021年)春のMTGアリーナのモバイル版の配信や「懐古スタン」大会への出場をきっかけに、アリーナでスタンダードをプレイしたりカード屋回ってカード買ったりと、初代ゼンディカーあたりで離れて以来*1のMTGに触れる日々が始まった。だが本格的に「復帰…

10年ぶりに10年以上前のデッキでMTGの大会に出て来た話

ゼンディカーあたりでMTGから離れてから、11年ぶりにMTGの大会に出てきました。しかも10年以上前のデッキを使って。 …と言っても当時のデッキをそのままレガシーやモダンに持ち込んだという訳ではなく、「懐古スタン」なる特殊フォーマットの大会が開催され…

「意見」から「有り様(ありよう)としての言葉」へ(Twitterの不快感と作品語りのあり方について)

Twitterでの意見・主張ツイートには納得よりも必要以上の不快感をもたらされる事の方が多いように思われる。その意見・主張はよくよく見返してみれば「まあそう考える人もいるよな」という、ひとまず自分の中で「考えるための材料」としておけばよい、即応の…

2020年のテレビアニメ感想

2020年に見たテレビアニメの中から、「面白かったアニメ」と「イマイチだった(ものによっては全部見てない)けど書くこと思いついた」作品について書いてみたい。なお参考までに 2010年代の傑作は絶対防衛レヴィアタン・ファンタジスタドール・幕末義人伝 浪…

最近(2020年1~3月)行った銭湯(船堀 あけぼの湯 、池袋 稲荷湯 他)

幡ヶ谷 第二かねき湯 京王新線初台〜幡ヶ谷の中間あたりにあるマンションタイプの銭湯。ボディソープ・シャンプーはフロントで下駄箱の鍵と交換で借りるというあまりないスタイル。下駄箱の鍵の番号は利用者が記憶する必要が。休憩スペースは十分くつろげる…

文庫にならないフーコー「言葉と物」―現代思想の文庫たち

フーコーの「言葉と物」が現代思想の基本テキストにも関わらず手に取りやすい文庫にならない(或いは廉価版が出ない)事はしばしば話題になる。他の現代思想系著作(厳密には「現代思想」には入らないかもしれないが、大きな影響を与えた20世紀思想も含む)は…

瀬戸際の文章(印象に残る冬・古井由吉の文章)

一昨年もその前の年も首都圏に印象に残る雪の降った冬だったので、雪の気配のなかった去年の冬(2019年1月2月)は少し物足りないものだったが、今年の冬(2020年1月2月)は雪の気配どころか自分が上京してから恐らく最も暖かい冬になった。逆に寒いことで印象に…

「好き」とは違う何かで…(「文学の強み」・乗り物・大江健三郎・笙野頼子・後藤明生)

昨年NHKの100分de名著で大江健三郎「燃え上がる緑の木」が取り上げられていた。番組のように掻い摘んで解説されると「一体何が面白いんだ…」となってしまう作品なのだが(見れば見る程「大江なら普通に万延元年のフットボールなどでやっておけば…」と思って…

2019年の良かったテレビアニメ ~「他所に出すのはちょっと恥ずかしい」を信じる~

バミューダトライアングル ~カラフル・パストラーレ~ TCG世界観スピンオフアニメでまさか「仲良し田舎娘グループ(+都会から落ち延びてきたアイドル)が廃墟となった映画館を復興するために奮闘する」なんてモチーフが展開されるとは。その他「記憶との対…

山行 8月 安達太良山 (沼尻登山口~胎内岩~鉄山~安達太良山山頂~船明神山~沼尻登山口)

先日の山行 安達太良山(沼尻駐車場〜胎内岩〜鉄山~安達太良山〜船明神山〜沼尻駐車場)温泉の源泉地になっている谷を跨いで登っていく。流れている川はぬるめの温泉なので水着で入浴してるおじさんがいた。 pic.twitter.com/VM7Ww2mR4u— missio (@missio1985…

2018年の良かったテレビアニメについて ー〈洗練された粗暴〉の時代がやって来た。のかもしれない。

2018年冬シーズン 「三ツ星カラーズ」 上野で三色と言われてはじめパチスロしか連想しなかった*1が、全然そんなアニメではなかった。全編通してひとつひとつの身振りが輝いていた名作だと思うのだが見られなさ過ぎにも程があるような。放送も折り返しを迎え…

映画「若おかみは小学生!」私記

風呂に入らないのはアニメではないので温泉旅館が舞台という時点で一応ある程度アニメであろうという事はとりあえず約束されているのだが、見始めてすぐ「よく考えれば(特にデフォルメ寄りのキャラの)日常芝居をしっかり作画されるのそんなに好きじゃないん…

面白い「非」の咲き乱れる作品を…(『LOST SONG』他)

『LOST SONG』(1~3話) 1話冒頭1分間の「これは完全に自分が好きなタイプのアレなファンタジーアニメなのでは…」感は『聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ』以来のものがあったが、そこからの進み行きはだいぶ異なる。 ゲーム屋ファンタジーアニメの生きる道は…

どうやら今年もテレビアニメで〈アクションシーン〉を見ることはまだ可能であるようだ(『キューティーハニー ユニバース』他)

「キューティーハニー ユニバース」(1話,2話) リブート作品という事で制限される部分、無茶ができる部分があると思うのだが、無茶ができる部分をちゃんと無茶している。1話戦闘シーンの時間感覚など完全にぶっ飛んでいて、絵柄だけではない部分でサイケデリ…

「何かに〈ついて〉」考えるという事が全て「違う」のかもしれない(ノート201802#1)

ポプテピピックでパロディとはなんだろうという(パロディと一口にいってもいろんなタイプがあるよなあ…そもそもそれって「パロディ」なのか?というような)方向に考えるというのならいいが、パロディという概念でポプテピピックを考えるというのは何か順番が…

ノート201801#5 対象・接近

対象に接近する事で対象を見極められるというロマンティシズムを捨てなければならない。対象が対象として選別されているということに既にひとつの歪みがある

ノート201801#4 語りかけるように書かれたもの

「語りかけるように書かれている」と思える小説が好きなのだが、自分の中には家族や友人が実際に語るような「生の語り」だけでなく、特撮・アニメのようなある種「大仰な語り」も息づいていて、だからこそ流れるようなリズム感とは遠いつっかかりのある文体(…

ノート201801#3 映像作品において言葉によって与えられた…

映像作品においても素っ気なく言葉によって与えられたものによって空間の把握の仕方が影響を被る事もあるのだから、言葉も音も捨象して考えることは出来ない。

ノート201801#2 作品・状況・問題

作品はどうしてこういう風にしか問題にならないのか。そもそも「問題」というのが違うのか・・・ 作家は状況論をやっていても話(仕事)にならない。作品を「状況」の中に置き直すのは評者の仕事。また、面白いから状況に置けるのであって、状況に置けない作…

ノート201801#1 既視感

既視感を感じさせない作品が、改めて振り返ってみて新しいものに満ち溢れているかというとそういう事はない。新しいと主張出来るところがない事もないが、概念操作で新しいと主張出来るような新しさなら既視感だらけの作品にもあるだろう。既視感を感じるか…

2017年 良かった文

…チュツオーラ『やし酒のみ』カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』大西巨人『三位一体の神話』— MIS (@missio1985) 2017年12月29日 2017年に読んだ中で良かった文(小説以外)冨田恭彦『観念論ってなに』(講談社現代新書)柄谷行人『言葉と悲劇』ジャン・ルイ …

2017年のテレビアニメ ベスト

・2017年テレビアニメ ベストー作品単位で良かったものー1 銀の墓守り2 けものフレンズ3 フレームアームズガール3 アキバズトリップ3 霊剣山 叡智への資格(2期)3 この素晴らしい世界に祝福を28 アイドル事変9 有頂天家族29 宝石の国— MIS (@missio1985) 2017…

繰り返し見る・読む・聴くことの価値

「見る・読む・聴くたびに〈発見〉がある」から「再読(再視聴)の価値がある」作品だというような言い方が好きではない。それ(作品)を見る・読む・聴くという体験に含まれるある「こと」が再体験によって立ち上がる(「こと」を再読によって立ち上げる)ことに…

画面が「繋がっている/繋がっていない」「もっている/もっていない」

青山真治が対談で最近の大河ドラマを画面が全然繋がってないと言っていてどんな基準で言ってるのか気になってしまった(「誰が誰を見てるのか分からない」という基準はひとつ挙げられているのだが、どうもそれだけではない気配が漂っているのだ…)のだが、万田…

泉鏡花・中心・小説の運動

『泉鏡花集成 8』(ちくま文庫)を読んでいる。泉鏡花はやはり比喩の人で、例えば『木の子説法』でいえば「茸-男根 茸の柄-乳房」というのがあるのだろうが、かといってそういう比喩的なところは、あるいは比喩的なところに限らずある構図のようなものは、鏡花…

田中小実昌『ないものの存在』に引用されていた三木清『哲学入門』の断片

行為は運動である。しかしそれは水が流れるとか風が吹くとかという運動と同じに考えることはできぬ。それらの運動は客観的に捉え得るものであるが、行為は、それをどこまでも客観的に見てゆく限り、行為の意味がなくなってしまう。行為は単に客観的に捉え得…

2016年のテレビアニメ傑作回を振り返る

『鬼斬』 第3話 「博多炎上」 何がシン・ゴジラだ、こっちは全長570mだぞ。立ち向かう対策本部が行き着いた作戦は、限られた時間の中で襲来怪獣の性質を的確に分析したうえで立案されたことにおいてヤシオリ作戦に勝るとも劣らない。宙吊りにされたワインボ…

作品を「問い」に変えずに「ここ」に踏みとどまること

作品について、本当は「"ここ"(ある具体的な、画面・音・言葉の連なり/広がり)が良かった」というだけの感想がもっと言われていいのだといつも思う。しかし「"ここ"が良かった」というだけの感想は、単にそれだけでは、言表の資格を持たず、「ここ」が「どう…

クラーナハ・デュシャン・ベケット

ちょっと前にクラーナハ展(これまで問答無用で「クラナッハ」だと信じていたのにこれからはどっちの呼称を使えばいいのだろうか)を見て来たら、デュシャンのスケッチ(?)が2枚ほど展示されていた。デュシャンについてはちくま文庫のインタビュー本を一冊読ん…

面白いと思わなくてもいい「自由」「隙間」「あそび」に向かって

保坂和志が"「面白い」という事がたいして重要な事だとは思わない"という風な事を書いている文章があるらしいのだが、あるムックにしか入ってない文章らしく、まだ読めていない。 それはさておき、ある種の「面白い」作品に"これは「面白い」というより単に…