「何かに〈ついて〉」考えるという事が全て「違う」のかもしれない(ノート201802#1)

ポプテピピックでパロディとはなんだろうという(パロディと一口にいってもいろんなタイプがあるよなあ…そもそもそれって「パロディ」なのか?というような)方向に考えるというのならいいが、パロディという概念でポプテピピックを考えるというのは何か順番が逆ではないかと思ってしまう。何かを考えるために作品があるのであって、作品を何かで考えるというのはどうなのだろう。作品「へ」向かうベクトル…作品を楽しむことが目的地であるというのは違うのではないか。「作品に〈ついて〉」考えるということが、もとより、「何かに〈ついて〉」考えるという事が全て「違う」のかもしれない。