文庫にならないフーコー「言葉と物」―現代思想の文庫たち

 フーコー「言葉と物」現代思想の基本テキストにも関わらず手に取りやすい文庫にならない(或いは廉価版が出ない)事はしばしば話題になる。他の現代思想系著作(厳密には「現代思想」には入らないかもしれないが、大きな影響を与えた20世紀思想も含む)はどうだろう。
 フーコーは長めの著作では「知の考古学」(「狂気の歴史」「臨床医学の誕生」「言葉と物」などの大著の方法論を開示する著作…らしい)は河出文庫に入っている。また大著に比べてマイナーだが、フーコー思想の入門としては最適と言われる講演録(哲学者著作は講演録から入るのが基本)「言説の領界」河出文庫に入っている。長さも程々でフーコーにしては普通に読み通せる本で面白かった。「狂気の歴史」「監獄の誕生」などメインの大著群が文庫にならない(出来ない?)事へのせめてもの抵抗として、入門書的なこれを文庫にしているのかもしれない。ちくま学芸文庫の「フーコー・コレクション」は「ミシェル・フーコー思考集成」からの選集で短~中篇ともいうべき論文が集まっており、各大著の部分的原型になった論考なども含まれているので拾い読みには適している。
 ドゥルーズは近年ほとんどの代表著作が河出文庫でまさかの文庫化を果たした(「ヒューム」「ニーチェなど哲学者別論考の一部はちくま学芸文庫で以前から出ていた)「差異と反復」、ガタリとの共著「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」などの大著はもちろん、「ザッヘル=マゾッホ紹介」なども文庫になった。自分のような下手の横好き哲学本読者でも圧倒的に楽しかったのは対談集らしからぬ対談集、「記号と事件 1972-1990年の対話」ドゥルーズ哲学の手引きともなりつつその域を超える名言だらけで、読んだ哲学の本の中で一番好きかも。

  デリダ「声と現象」ちくま学芸文庫で版を重ねているが、一部から熱烈に支持*1されている「死を与える」は入手困難になっている。全体の著作の中で文庫になっている割合は少ない方か。

 バタイユちくま学芸文庫の「エロティシズム」「呪われた部分」などなど、かなり文庫化率が高い印象。日本では異様に人気がある(あるいは一時期異様に人気があった)のではないだろうか。澁澤とか、そっち方面からの切り口もあるのがやはり大きいか。

 ベンヤミンは短かめな論考(あまりにも有名な「複製技術時代の芸術作品」含む)は岩波文庫ちくま学芸文庫河出文庫など複数の文庫に様々な形で収録されている。1巻1巻が分厚い上に堂々7巻刊行済みのベンヤミン・コレクション」が当然のように網羅性は高いがエッセンスが散らばってる感じもあるので、初めて手を出す1冊ということなら岩波文庫(「暴力批判論」「ボードレール(「複製技術時代の…」も入ってます))もエッセンス凝縮度の面でおすすめ出来る。相場も安いし。(なお、岩波現代文庫の「複製技術時代の芸術作品」解説本「ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読」は本文も全文収録している)。ちくま学芸文庫のコレクションは順調に版を重ねている印象があるが、長めな著作の「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」は品切。「ドイツ悲劇の根源」がこの前復刊されたのが救い。「パサージュ論」岩波現代文庫から出ていたが、巻によって品切中で現在揃いで入手するのは割と困難。

  ロラン・バルトちくま学芸文庫などで結構な数の著作が文庫になっている(「エクリチュールの零度」「表徴の帝国」「映像の修辞学」など)が、文庫になっていないものに限って良著の声が高い(「明るい部屋」「恋愛のディスクール 断章」「サド・フーリエロヨラ」など)。有名な「作者の死」を含む「物語の構造分析」も文庫になっていない。文学よりの人ではブランショも「文学空間」が文庫になっていなかったり(「明かし得ぬ共同体」「来たるべき書物」などはちくま学芸文庫で出ている)、少し穴が。

 その重要度に対して文庫化率が圧倒的に低いのはレヴィ・ストロースだろう。「悲しき熱帯」は「悲しき南回帰線」として講談社学術文庫で出ていたが訳が異常に不評で、読むなら中公クラシックスに頼る事になる。解説などを度外視してどうしても安く読みたいなら、中公「 世界の名著」(函入単行本と少し小さな中公バックス版がある)に収録されている巻があるので、古本屋で安く転がっているのを狙おう。とはいえ、これはどちらかといえば思想寄りの著作ではない。そっちの方の代表作「野生の思考」は、その重要度に対する文庫になってなさの度合いでは「言葉と物」と双璧かもしれない。
 余程じゃなければ概説で済ませておけと話題になるラカンは主著はほとんど文庫になっておらず、著作の中でどのポジションにあたるのかが概説書の類にもあまり出てこないようなものが文庫になっている印象。著作の中では日本語として読める方と言われてた(気がする)「精神分析の四基本概念」は、品切でえらい値段になっていますね。
 レヴィナスは珍しく岩波文庫が手を出している他(「全体性と無限」)、講談社学術文庫ちくま学芸文庫などでぽつぽつと出ている。

 複数著作が文庫化している著作家はこの辺で、その他ボードリヤールなど代表1作が文庫になっているパターンや、クリステヴァなど文庫化を待つ間にあまり読まれなくなってしまったパターンなどがあるか。やはり複数文庫化しているのは流行期のあったフランス系の人が多く、アメリカ系はジョン・サール(セクハラで処分されましたね…)「MiND 心の哲学ちくま学芸文庫で出るなど兆しはあるものの、かなり少ない。アメリカ系の重要著作の文庫になってなさ度合いこそ「言葉と物」や「野生の思考」どころではない状況にある気もする。

 まだまだ振り返り忘れている部分があるような気がするが、とりあえずこの辺にしておこう。

 さて、フーコー「言葉と物」について。初めて読むとなんといってもボルヘスの「シナのある百科事典」の引用(の引用)から始まる序章のドライブ感に惹きつけられる。ベラスケス「ラス・メニーナス」の批評になっている第1章(これの原型になったテキスト「侍女たち」はちくま学芸文庫フーコー・コレクション 3 言説・表象」に収録されている)も読みごたえがある。その後、ミクロコスモスマクロコスモスで錬金術な2章までは楽しみつつ、3章あたりからだんだん顔が引きつってくるのが自分のようなヌルい読者のありがちなパターンではないだろうか。全部を咀嚼するのは容易ではないが、序章やあまりにも有名な末尾の言葉など、そこだけで強く惹きつけられる細部を持っているのが思想プロパー以外にも強く支持される理由か。
 文庫化されている現代思想系著作を振り返ってみると、読み込める人間がそう沢山いそうもない難解な著作までよく(どちらかといえば低価格多売が前提の)文庫になっている方だと思う。思想書の敷居を下げるのに大きく貢献している反面、フーコーのように「手引き的な著作は文庫で」「主著たる大著はいかつい単行本で」という棲み分けが基本になっていた方が、初学者には読む道筋がつけやすくて分かり易い読書界が形成されていたかもしれない。下手すれば一生読めかねない本が数千円するのは当然という考え方もある(「言葉と物」に関しては古本屋で状態に拘らなければ三千円以下で売ってることもそう珍しくはないので、この期に探してみては…何しろ今でも訳変わってないし)。
 とはいえ、自分のような貧乏人とっては安くて軽くて困ることはない(思想書の類は単行本でも文字サイズ別に大きくないし…)ので、まあ文庫になってくれるに越したことはないところはある。単行本を既に持っているものに関しても、文庫で出たら買い直すのも吝かでない。
 余談(現代思想からは少し離れる)だがフィクション論の重要著作は文庫にならないどうこうではなく、入手難度そのものが壊滅的な事になっている。ウェイン・C・ブース「フィクションの修辞学」とかジュネット「物語のディスクール」とか、誰かなんとかしてください。

*1:保坂和志と自分の身の回りで出会った人との二人から、だが。こういう風にある著名な人の支持とそのことを知らない身の回りの人の支持が重なる著作には興味を持たされる