ノート201801#5 対象・接近
対象に接近する事で対象を見極められるというロマンティシズムを捨てなければならない。対象が対象として選別されているということに既にひとつの歪みがある
ノート201801#4 語りかけるように書かれたもの
「語りかけるように書かれている」と思える小説が好きなのだが、自分の中には家族や友人が実際に語るような「生の語り」だけでなく、特撮・アニメのようなある種「大仰な語り」も息づいていて、だからこそ流れるようなリズム感とは遠いつっかかりのある文体(例えば大江の小説のような)を「語っているように書いている」ものと読めるのではないか。
ノート201801#3 映像作品において言葉によって与えられた…
映像作品においても素っ気なく言葉によって与えられたものによって空間の把握の仕方が影響を被る事もあるのだから、言葉も音も捨象して考えることは出来ない。
ノート201801#2 作品・状況・問題
作品はどうしてこういう風にしか問題にならないのか。そもそも「問題」というのが違うのか・・・
作家は状況論をやっていても話(仕事)にならない。作品を「状況」の中に置き直すのは評者の仕事。また、面白いから状況に置けるのであって、状況に置けない作品がつまらない/置ける作品が面白いという事はない。
ノート201801#1 既視感
既視感を感じさせない作品が、改めて振り返ってみて新しいものに満ち溢れているかというとそういう事はない。新しいと主張出来るところがない事もないが、概念操作で新しいと主張出来るような新しさなら既視感だらけの作品にもあるだろう。既視感を感じるかどうかは、見ている対象の道具立て(「要素」に分解されるような)とは関係がないのだと思う。