2017-01-01から1年間の記事一覧

2017年 良かった文

…チュツオーラ『やし酒のみ』カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』大西巨人『三位一体の神話』— MIS (@missio1985) 2017年12月29日 2017年に読んだ中で良かった文(小説以外)冨田恭彦『観念論ってなに』(講談社現代新書)柄谷行人『言葉と悲劇』ジャン・ルイ …

2017年のテレビアニメ ベスト

・2017年テレビアニメ ベストー作品単位で良かったものー1 銀の墓守り2 けものフレンズ3 フレームアームズガール3 アキバズトリップ3 霊剣山 叡智への資格(2期)3 この素晴らしい世界に祝福を28 アイドル事変9 有頂天家族29 宝石の国— MIS (@missio1985) 2017…

繰り返し見る・読む・聴くことの価値

「見る・読む・聴くたびに〈発見〉がある」から「再読(再視聴)の価値がある」作品だというような言い方が好きではない。それ(作品)を見る・読む・聴くという体験に含まれるある「こと」が再体験によって立ち上がる(「こと」を再読によって立ち上げる)ことに…

画面が「繋がっている/繋がっていない」「もっている/もっていない」

青山真治が対談で最近の大河ドラマを画面が全然繋がってないと言っていてどんな基準で言ってるのか気になってしまった(「誰が誰を見てるのか分からない」という基準はひとつ挙げられているのだが、どうもそれだけではない気配が漂っているのだ…)のだが、万田…

泉鏡花・中心・小説の運動

『泉鏡花集成 8』(ちくま文庫)を読んでいる。泉鏡花はやはり比喩の人で、例えば『木の子説法』でいえば「茸-男根 茸の柄-乳房」というのがあるのだろうが、かといってそういう比喩的なところは、あるいは比喩的なところに限らずある構図のようなものは、鏡花…

田中小実昌『ないものの存在』に引用されていた三木清『哲学入門』の断片

行為は運動である。しかしそれは水が流れるとか風が吹くとかという運動と同じに考えることはできぬ。それらの運動は客観的に捉え得るものであるが、行為は、それをどこまでも客観的に見てゆく限り、行為の意味がなくなってしまう。行為は単に客観的に捉え得…