泉鏡花・中心・小説の運動

泉鏡花集成 8』(ちくま文庫)を読んでいる。泉鏡花はやはり比喩の人で、例えば『木の子説法』でいえば「茸-男根 茸の柄-乳房」というのがあるのだろうが、かといってそういう比喩的なところは、あるいは比喩的なところに限らずある構図のようなものは、鏡花の小説のなかで決して「中心化」しないようになっている。
比喩に限らず泉鏡花の小説は「中心」のようなものが見出されかけた瞬間畳み掛けるように終わることが多い気がして、それは「中心」が発見されてしまった瞬間「小説」という運動は運動をやめるということに自覚的であるかのようでもある。