-箱の自由・映画の自由- ウェス・アンダーソン『グランド・ブタペスト・ホテル』(2014年) 

 ウェス・アンダーソンの監督最新作『グランド・ブタペスト・ホテル』は、言うなれば「箱」の映画だ。
 面を立ち上げるような平面構図とその面の表面をなぞるような横移動によって、調査船の内部(『ライフ・アクアティック』)、寝台列車の客車(『ダージリン急行』)などの直方体を基とした空間=「箱」を度々立ち上げて来たウェス・アンダーソン作品は、今作『グランド・ブタペスト・ホテル』でもタイトルそのままの「ホテル」、対してタイトルからは想像も付かない「刑務所」、そして(またも)「寝台列車」といった数々の「箱」を立ち上げていくと同時に、敷居のない屋外空間をもまたこれまで通り、或いはこれまで以上に強固な意志を持って「箱」に収めていく。
 「箱」や「枠」といった単語は、広がりのあるものを閉じられた場所へ押し込めるという窮屈なイメージに重ねて受け取られがちな言葉ではある。しかし、本作(もとい、ウェス・アンダーソン作品)が形式という「"枠"への強い志向」に貫かれているにも関わらず、その種の窮屈さと無縁である事は、数多の場所とその場所に付き纏うジャンルを軽やかに移行していくこの映画の活劇を目にした者には明らかだろう。それでいてどのジャンルにもなり切らない=訳知り顔な枯れた成熟を示さないという意味で、この映画における移行はベッドの敷居から敷居へ際どいバランスを保ちながら軽やかに飛び移っていく劇中のあのアクションのような、「境界から境界への移行」だといえる。
 この映画の軽やかさは、映画における自由とは形式的な「箱」を壊す事ではなく、「箱」を立ち上げ、「箱」から「箱」へ、ロープウェイという「箱」から「箱」へ飛び移る劇中でのあの所作の如く飛び移る事で実現するものなのだと宣言しているかのようでもある。終わりなき移行を繰り返した末にやがてその舞台を元のホテルに戻した「グランド・ブタペスト・ホテル」の物語の糸は、画面を劇中度々重要な役割を演じたピンクの「箱」で埋め尽くす事でひとつの大団円を迎える。そして箱の中の箱を開くかの如き入れ子構造の語りで始まったこの映画は、その「箱」の蓋をひとつひとつ閉じていく事で幕を閉じる。ウェス・アンダーソン監督製の鮮やかな箱の蓋がまた再び開く日を、完全に片付けたつもりでいた過去作の蓋をもう一度開く作業を繰り返しながら待ち続けたい。