年に一度はこういう事があるからテレビアニメを見ない訳にはいかない/「遮るもの」が演じる運動―『ラクエンロジック』4話「自由か束縛か」


1話も色々カッ飛ばしていて凄かった『ラクエンロジック』だが、4話がもうほんとにいくらなんでも凄すぎて唖然とするしかなく、年に一度はこういう事があるからテレビアニメを見ないわけにはいかないなと思える回だった。事ある毎にその存在を思い出しては感慨に耽る事になる回というのが自分にはいくつかあるが、この回もたぶんそういう回になるだろう。
特に凄かったAパートはどこが凄いかと言われてもすべての流れが凄過ぎるので説明しようとしても単に映ってたことを時系列順に並べて言葉で再現していく他はないような気がして、ツイッターには

"アジの干物越しの叱咤からクロエが後ろ手組んでる所inエレベーターに飛んで、エレベーター内俯瞰で並べ立てられる使者の名、アテナがヴィーナスの口塞いで、塞いでる腕を割って出て行くクロエ、閉じるエレベーターの動きと並行右パンでスイッチに寄りかかるように立ってるユカリの顔。いやはや。"

みたいに書いた。これは朝食以降の流れの要約で、その前部分のゴールテープに見立てたダッシュ〜現場での会話〜飛んでいったのと逆方向に走って「待ってろ9.8!」なんかも凄い。走る方向、数字に置き換えられた呼び名…いやはや。
だいたいエレベーター俯瞰であの面々が並んでて、折笠富美子小見川千明が幻獣固有名詞羅列するとかそれだけでカッコ良過ぎるなとも。


無粋を覚悟でAパートの流れを貫くポイントのようなものを抽出するなら"「遮るもの」によって演じられる運動"という事だろう。Aパートにはゴールテープに見立てられクロエの疾走を生み出す「KEEP OUT」のバリケードテープ、クロエがタマキの追求からそれで隠れようとするアジの干物、ヴィーナスの口を塞ぐアテナの手…といった「遮るもの」が度々見い出される。
バリケードテープは本来「遮るもの」であったものがその用途を越えてクロエの疾走の目標となり、対照的にアジの干物は本来は食物であるものが「遮るもの」として扱われる。ヴィーナスの口を塞ぐアテナの手は、ヴィーナスが言いかけた言葉を遮るものとして会話の流れの中で身体によってその場に引かれた生々しい線でありつつ、結果的にエレベーターの出口へと向かうクロエの進行方向を塞いでいるという、二重の「遮るもの」となっている。
役割の移行、複数の役割の越境といった「遮るもの」の種々の様態が、Aパートの流れに「運動」を生み出している。そして、それぞれの「遮るもの」はクロエの手によってくぐられ、支えられ、軽やかにほどかれていてる。ここから「くぐること/ほどくこと-自由」「遮るもの-束縛」というサブタイトルに連関する図式を見出す事も出来るが、これは少しサブタイトルに引き摺られ過ぎかもしれない。そういった図式に拠らずとも、「遮るもの」とクロエの有り様…もとい、ロジカリスト/フォーリナーたちの有り様…を見守っているだけで、ひたすら打ちのめされる回なのであった。