クラーナハ・デュシャン・ベケット


ちょっと前にクラーナハ展(これまで問答無用で「クラナッハ」だと信じていたのにこれからはどっちの呼称を使えばいいのだろうか)を見て来たら、デュシャンのスケッチ(?)が2枚ほど展示されていた。デュシャンについてはちくま文庫のインタビュー本を一冊読んだ(良かった)だけで、これにはクラーナハについて何か言ってるような所はなかったので、まさかデュシャンの何かがここで展示されているとは思わなかったのだった。
展示を通して感じた事だがクラーナハはある種の「軽さ」(「軽薄さ」というと侮蔑的なニュアンスが入ってしまうような気がするのでこう言っておく)によってモチーフを決定しているのではと思える所が多分にあり、そういう所がデュシャン(や今回同じ様に展示のあったピカソ)のような、同じくある種の「軽さ」がモチベーションになっている(ように思える)創作者には響く部分があったのではないか…と勝手に思う。
同じ頃ちょうどベケット『モロイ』を読み始めていたのだが、そこに凄い「何か」があるようでしかし単にふざけているだけなのでは…という風なスレスレなテキストの連発で素直に格好いいと思ってしまった(有名なのはおしゃぶり用の石をしゃぶるくだり)。20世紀初頭〜中盤に尖ったものを創ってた人たちの作品は、時に単にふざけているようにしか見えなくもないような、そんなスレスレの事に極めて真剣な面持ちで取り組んでいるような所があって素敵だ。そこには異様な律儀さとある種の軽さが共在している。